SORA BLOG

1997年 神奈川県生まれ。幼少期から中学時代にかけ、毎週末フェラーリをはじめ高級車を扱うショールームの扉を叩いて回るなどクルマを追いかけ回す日々を送る。高校時代、友人と仏を旅したのを機に関心の目が世界へと広がる。大学入学後、20カ国以上を放浪。1年間スウェーデン・ストックホルムに滞在。/大のビートルズ好き

イラン紀行 ペルシアの風に吹かれて①国際政治の荒波に飲まれて。

混乱が続くイラン情勢を前に、大好きなイランに安定した平和な日々が訪れることを祈りながら。

 

(2018年)イランへは、トルコ・イスターンブールのアタチュルク国際空港を経由した。深夜1時の便の乗り継ぎまでの間、街の光が反射し白く光る雲の中に消えていく飛行機を、椅子に横になりながらひたすら眺めていた。空港内のWifiが有料であったのに加え、荷物のパック中、減量のため本を部屋に置いてきてしまったため、暇をつぶすものがなかったのだ。夜も更け、離陸する飛行機の数が減り始めた頃、ようやく搭乗アナウンスが流れ、機内へ。耳に馴染みのないペルシア語の機内アナウンスに胸が高まる。

 

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(トルコの空港で、西洋に「さようなら」)

早朝3:30、機内の窓から見える、街灯がポツリポツリと灯る寝静まった街を横目に、飛行機はエマーム・ホメイニー国際空港に着陸。到着したばかりの機内では、女性が一斉に慣れた手つきで、ヒジャブを頭につけ始めていた。

(ここイランでは1979年のイスラム革命以降、イスラム教に基づく法制が轢かれ女性には外出時、ヒジャブの着用が義務づけられている。ヒジャブの着用以外にも、飲酒禁止(スーパーの店内一角にノンアルコールコーナーはある)、未婚の男女がイチャイチャするのは禁止、女性の一人旅の際には、警察署に届け出が必要などなど、イスラーム法にのっとた厳格なルールがこの国を支配している。ここ最近、女性のサッカー観戦が認められるなど状況は少しづつ変わりつつある。大きな公園内を歩いているとき、人目を避けるように、大木の木陰に隠れて、手を握り合うカップルの姿を何度か見かけた。)

www.huffingtonpost.jp

 

入国前に、事前に大使館でVISAの申請をしていなかったため、空港でアライバルビザの申請をする必要があった。見慣れないペルシア語に囲まれながら、案内板の標識を頼りにどうにか申請窓口に到着。早朝のため、まだ人影は少なかった。そこで滞在先の住所や電話番号、パスポート番号、入国目的などを記入し、入国ゲートで”お決まりの”強面のおじさんにビザ申請用紙を渡す。

機内では、外国人は僕ぐらいかと思っていたが、ビザの申請窓口の周りには20人近くの旅行者がビザの発行を待っていた。西洋人に混じり、アジア人(多くが中国人と思われる)の姿もちらほら見られた。

近くにいた家電メーカーに勤めているという中国人ビジネスマンと、たわいもない話をしながら時間を潰した。欧米の経済制裁が課されているイランでも積極的に営業に勤しむ姿に、経済覇権を握りつつある国の勢いを感じた。

しばらくすると、窓口で彼の名前が呼ばれ、彼は去っていった。その後も同じタイミングで申請した人が次々とビザを受け取っていくが、一向に名前が呼ばれる気配はない。それどころか、僕より後に申請した人が、先にビザを受け取っているではないか。もしや忘れられているのではと思い、念のため窓口で声をかけると、「手続き中」との返事がかえってくるだけ。

忘れられている訳ではないのなら、根気良く待つよりほか仕方ない。先ほどまで闇に包まれていた街には気付けば、朝日が照りつけていた。4、5時間は経っただろうか。ようやく名前が呼ばれた頃には、時間は、8時を回っていた。とりあえず入国できることが分かり安心し、思わず「フー」と声を出しながら、深い息をついた。

これは後に、テヘランでお世話になった友人から聞いて判明したことだが、どうもイスラエルへの渡航歴が問題となっていたらしい。テヘランで泊めてもらう予定だった家には、朝5時近く、入国管理局の職員から電話があり、色々と僕について質問を受けたらしい。朝早くからお騒がせしてしまい、申し訳なかった。イスラエルとイラン関係の悪さの余波を、こんな形で受けるとは思ってもみなかった。

以前、イスラエルを出国する際にも、出国検査で疑いの目をかけられ、荷物を全て開けさせられた上に、靴下まで脱がされて全身をチェックされたことがあった。どうも、空港の手続きは、スムーズにいかない運命らしい。

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 (車線なんて御構い無しに、ぶっ飛ばすおじさんの横で。)  

入国ゲートを抜け、預けた荷物を回収しに、荷物引渡用コンベヤーへ向かうが、時すでに遅し。5時間前に着いた荷物が今も、孤独にグルグル回り続けているという微かな希望は、一瞬で消え去った。そこから、空港職員と「ここでもない」「あそこでもない」と言いながら建物をグルグル回り、入国ゲートの隅に無造作に置かれた荷物の山の中から、ようやくバックパックを見つけた。

閑散とした空港ビルには、なんとも言えぬイスラム情緒溢れる雰囲気が漂っていた。それでも出入り口には、「タクシー」「タクシー」と声をかけるタクシー運転手が、客引きに勤しんでいた。飛行機で4時間ほどしか睡眠をとっておらず疲れが溜まっていたので、適当に感じの良さそうなおじさんを勘で選び、そのタクシーに身を委ね、テヘラン中心部へと向かった。(帰りにイラン人の友人が呼んでくれたタクシーは、行きの半額ほどの値段で、ぼられたことを帰国寸前に知ることになるとは、この時、知る由もなかった。)

 

つづく.....