イランで見つけた、心温まる「おもてなし」。ひとり旅をしていた僕が全く孤独を感じなかった国。(テヘラン・イスファハン・シラーズ)
どうも、イランに行って以来すっかり、中東の魅力にはまってしまったそらです。
今年の4月末から5月の前半にかけ、約10日間イランにバックパックしてきました。
僕が帰ってきてからトランプがイランとの核合意を破棄し、改めて制裁を課し、イラン通貨リアルが暴落するなど、混乱続きのイラン情勢。(正直、いいタイミングで行ったと思います。)
日本に住んでいるほとんどの方は、イランと聞いて、ペルシャ絨毯やペルシャ猫などしかパッと思いつくものはないと思います。
今回は、そんなベールに隠された謎の国イランについて、書きます。
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ここイランでは1979年のイスラム革命以降、イスラム教に基づく法制が轢かれ、女性には外出時、ヒジャブの着用が義務づけられています。(観光客の女性も含まれます。)
ヒジャブの着用以外にも、飲酒禁止(スーパーの店内一角にノンアルコールコーナーを見つけたけど、もちろん全て0.0%)、未婚の男女が公共の場でイチャイチャするの禁止、女性の一人旅の際には、警察署に届け出が必要などなど、イスラーム法にのっとた厳格なルールがこの国を支配しています。
実際、街でヒジャブを着用して歩く女性、前と後ろを境に男女が分けられているバスや電車の車内、駅のホームを見ると、この国がイスラーム法により支配されていることを、感じさせられます。
2. イランに行くことの代償。
正直に言います。イランに行くと後の旅に支障がでます。(南米、アメリカへの旅を計画中の方、アメリカ方面に頻繁に行かれる方には。)
例えば、今後、僕がアメリカへ旅をしたい時、もしくはアメリカを経由して南米に向かおうとした時に、一般的に渡米に短期滞在する際に必要となる、電子渡航認証”ESTA”を申し込むのではなく、非移民VISAを申請する必要があります。(大使館に行き、面接を受け、160ドル払います。ただし、一度申請してしまえば10年間有効。)
それというのも、2016年に施行された「ビザ免除プログラムの改定及びテロリスト渡航防止法」という法律によって、イラク、イラン、スーダン、シリア、リビア、ソマリアまたはイエメンに渡航履歴がある場合は、ビザ免除対象外となるからです。
詳しくはこちら↓
貧乏トラベラーの僕にとって、正直これは痛いです。
これを聞いて、イランへの旅を避けようと思う方いると思います。僕も、イランに行くか結構、治安もどうなのか不安でしたし、迷いました。(いつも何にも考えないでカチカチと無心で航空券購入をクリックする僕が、30分以上は悩んだ。)
しかし、今まで旅をしてきた中で、イラン以上に刺激があり、ある意味強烈で思い出深い国はありません。(タクシーに2回ほどぼられたけれど) 「イランに行かずして、死ねない」。
ここまでネガティブな面ばかり、書いてしまいましたが、ここからは、そんな旅の中でも、特に印象深かった、イラン人の国民性とホスピタリティーについて紹介したいと思います。
2. 困っている人を決して見て見ぬ振りをしない(できない)国民性。
イランほど、人の優しさ、温かさに触れられる国はないといっても過言ではないと思えるほど、旅中、毎日多くの人に手を差し伸べられ助けられました。
とてつもないほどフレンドリーなイラン人。イスファハーンやシラーズでは、街を歩いているだけで、30分に一回くらいは誰かが話しかけてきました。中には、果物やお茶、観光案内までしてくれる人まで。あまりに、"Can I take a photo with you?"と話しかけられることが多かったので、最後の方には有名人気取りで楽しんでいました。(笑)
イランほど、ひとり旅をしていて孤独感を感じない国はないと思います。孤独なバックパッカーにとっては、ある意味最高な場所。
そんな思い出を一つ一つあげてもきりがありませんが、すぐ頭に思いつく限りでも、
地下鉄の駅やバス停で路線図を見ていると必ず話しかけてくる人々(中には、目的の駅まで一緒に付いてきてくれる人もいました)。
迷子になって道を聞いた時、クルマで目的地まで送ってくれた人。
店前を歩いていると、話しかけ果物やお茶をくれた陽気なおっちゃんたち。
夜行バスで食べ物をくれた人たち(ほぼ毎回バスに乗るたびに、隣に座っていたイラン人から、ありがたい事に食べ物やお菓子をいただいた)。
夜行バスに右も左も分からない街に深夜3時ごろ降ろされ、街をぶらぶらしていたら声をかけてくれて、ロビーで寝かせてくれた上に、シャワーを貸してくれて、朝食まで振舞ってくれたホテルのおじさん。(その後、荷物も置かせていただいた。心から感謝。)
街を一日かけて案内してくれた同世代のイラン人学生。彼女から聞いた、イラン人の若者の考え方や、イラン社会の現状に対する不満はとても興味深く、79に起きたイラン革命の理念が崩れ始めているのを肌で感じました。(この事については、また別の機会に詳しく書こうと思っています。)
街で話しかけられひとり旅をしていると言ったら、クルマで街を案内してくれた上に夕食までご馳走してくれたイラン人家族。
(話しかけてくたお父さんは80年代、日本で働いていた経験があり、日本語が堪能でした。88年のイラン・イラク戦争後、イランは経済が疲弊し、失業率が高かったため、多くのイラン人は、海外に仕事の場を求めました。その1つが日本でした。というのも、日本とイランは1974年にビザ相互免除協定を締結してたため、この協定を利用し、比較的安易に働く事ができたという背景がありました。当時、多くのイラン人が日本に出稼ぎに来ていたと言います。彼もその1人でした。)
店前を歩いていると、話しかけてきて、果物やお茶をくれた陽気なおっちゃんたち。
会って1時間も経っていないのに合鍵を渡してきたホスト。(イランでのカウチサーフィン体験談はまた、別の機会に詳しく書きます。)
一つ一つあげて言ったらキリがないほど、多くのイラン人の優しさに触れ、助けられた日々でした。
日本人は優しいという言葉を聞きますが、正直東京の街を歩いていると、路線図を前に悩んでいたり、駅のホームで迷っている外国人に話しかけていこうとする人はまだ、それほど多くないと思います。(英語が苦手という理由もあるかもしれませんが、)
3. 英語が話せなくてもとにかくガンガン話しかけて来る
彼らはとにかく、電車に乗っていても、バスに乗っていても、広場でアイスを食べていても、とにかく話しかけてきますが、決して英語が達者だという訳ではありません。
むしろ、日本と同じか、それ以上に英語は伝わらないと思います。
なので、ほとんどの対話は、
"Heyyy where are you from?"
"I'm from Japan!! "
"おおお前、 日本から来たのか!!!よく遠くから来たな、どうだイランは?
(ペルシア語。多分こんな事言ってたと思います。)
"????????" (笑顔)
"名前なんて言うんだ? name name"
"I'm Sora"
"من ۔۔۔ هستم۔------------ (ペルシア語)"
"ワッハハハハハハハ"(分かってない)
みたいな感じでした。会話はご覧の感じで、成り立たないことが多かったのですが、なぜかとても楽しいし、何を言っているのか逆にとても理解したくなるのです。ボディランゲージやスマホを駆使して、相手の言いたい事が分かった時は、何事にも変えられない達成感を味わいました。(笑)
イラン人の積極的に話しかけて来る姿勢、言語学習の際にとても参考になると思うんです。実際、話しかけてくれたイラン人の子の中には、英語(中には日本語)のスピーキングを鍛えるために、外国人を見たら話しかけているという子もいました。
街の外国人にとりあえず、話しかけていく語学学習法は、コストもかからないし、リアルな言語が身につくしで、メリットづくし!?
正直、イラン人の魅力を全て書いていたら、飛行機で中東に行けてしまうほどの時間が経ってしまいます。ですので、ぜひ、イランに実際に行って、フレンドリーなイラン人の方の優しさ温かさに触れてきてください。
1つ、イラン人の方によく言われた事があります。
それは、
「なぜ、日本人はイランに来ないの?」という言葉。
イランの旅中、欧米人や中国人のバックパッカーや団体客はよく見かけましたが、日本人は圧倒的に少ない。旅を通して会った日本人は、空港で会った1人だけでした。
次の旅の行き先に迷っている方は、イラン、ぜひご検討ください。アメリカのVISAの問題で避けるのは勿体無いです。(一度、申請してしまえば10年間は有効です。)
(ひたすら続く砂漠地帯を走るバス。)