SORA BLOG

1997年 神奈川県生まれ。幼少期から中学時代にかけ、毎週末フェラーリをはじめ高級車を扱うショールームの扉を叩いて回るなどクルマを追いかけ回す日々を送る。高校時代、友人と仏を旅したのを機に関心の目が世界へと広がる。大学入学後、20カ国以上を放浪。1年間スウェーデン・ストックホルムに滞在。/大のビートルズ好き

脅かされる日常 パレスチナ自治区ヘブロンで起きている終わりの見えない対立と未来への小さな希望。

 

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(かつて賑わいを見せていたという商店街。立ち並ぶ商店の扉は今は閉められており、閑散としている。付近を歩く多くは、街を警備するイスラル兵。そこにパレスチナ人の姿はほとんどない。)

 

昨年の年末、イスラエルパレスチナ自治区を旅する中で、ヨルダン川西岸パレスチナ自治区に位置する最大都市ヘブロンという街を訪れた。

 

私がここに記す事はあくまで現地に住むパレスチナ人の人権活動家の方から聞いた話に基づく、パレスチナ人の側から捉えたパレスチナ問題であり、イスラエル入植者の話を聞く機会はなかったため、客観的と言えるものではない。

 

しかし、パレスチナ問題を知る上で、現地に暮らし生活を営んでいる人々の置かれている現状を知る事は、この深く終わりの見えない問題を理解する上でとても、意味のある事だと思い、ここに記録を残そうと思う。

 

遠く離れた地で起きている日本と全く関係のない地で起きている問題とは思わずに、パレスチナで今起きている問題に、少しでも興味を持つきっかけになっていただけたら、幸いである。

 

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1948年にイスラエルが建国されてから続く、パレスチナ人とユダヤ人の対立は現在も解決の糸口が見出されていない。そうした対立の一つの大きな要因となっているのが、当記事で紹介するユダヤ人入植地を巡る問題だ。

 

イスラエルは、ヨルダン川西岸地区を中心に、ユダヤ人居住区の建設を、国際法に違反しているのにも関わらず、国策として推し進めてきた。イスラエル政府の国際法を無視しながら、パレスチナ人を武力を盾に彼らの居住地から排除し、入植地建設計画を推し進める姿勢は、新たな憎しみを生み、対立を更に煽り、結果として、当問題の平和的解決を遠ざけることに繋がっている。

 

ここヘブロン旧市街は、そうした入植地建設政策の最前線に位置し、現在も度々イスラエル軍と入植地政策に反対するデモ隊との間で度々衝突が起こることで知られている。

 

旧市街には、旧約聖書に登場する預言者アブラハムの墓があると言われているマクペラの洞窟があり、ユダヤ教イスラム教の聖地としても有名で、毎年多くの巡礼者が訪れる。こうした聖地としての歴史的重要性があるが上に、イスラエルはこの地における入植地建設を推進してきたという一面がある。

 

そうした歴史的にも価値が高いヘブロンは、昨年ユネスコにより世界危機遺産に登録され、話題を呼んだ。登録決定後、イスラエルユネスコの決定に強く反対し、拠出金を削減することを表明。昨年10月に同盟国アメリカとともにユネスコからの脱退方針を表明するに至った。

 

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(マクペラの洞穴)

 

ヘブロンへは、ホステルで出会ったスペイン人の旅人と共に向かった。

 

男女ともに徴兵が義務づけられているイスラエル。イエルサレムの中央バスターミナルでは、徴兵先に向かうのであろう同年代の若者を多く目にした。イェルサレム中心地から、乾燥した大地をひたすら走るバスに揺られ約1時間半ほどで、ヘブロン近郊に位置するイスラエル入植地の街に着いた。

 

当初は、ヘブロン近郊のイスラエル側の町から、更にバスを乗り継ぎヘブロン旧市街を目指す予定だった。しかし、バスが予定時刻になっても来なかったため、地図をみて歩いてヘブロンへ向かうことにした。

 

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(ヘブロンヘの道中、六芒星が描かれた落書きを街の至るところで目にした。)

 

道中道を聞いた入植者に”歩くのは危険だからやめろ”と言われた為、頭の中に常に恐怖感がよぎっていたものの、幸い危険を感じる事なく、途中いくつかの検問所でのパスポートチェックを通過し、無事ヘブロン旧市街に到着。

 

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現地では、人権活動家として活動しているパレスチナ人の方の案内で街をまわり、イスラエルサイドとパレスチナサイド両方からヘブロンの現状について説明を受けた。

 

銃を持つイスラエル兵が立ち並ぶ重々しい検問所を抜け、パレスチナ側に入るとそこには、私たちが普段暮らしている日本で見られるのと同じ子供達の笑顔があり、人々の笑い声、果物や肉を売る人など、ごく普通の日常の風景がそこにはあった。

 

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 (パレスチナサイドの、商店が立ち並ぶ通りにて。)

 

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ハローと言いながらハイタッチしてくる子供達、一緒に写真を取ろうと寄ってくる陽気なおじさん、店先でお茶を出してくれたおばさん、ガイドが終わった後に家に連れていってくれご飯をご馳走してくれた人権活動家の方の家族。こんなにも人の暖かさ、優しさを感じる街は今までになかったと思えるほど、心地よく、優しい空気に包まれた街の印象が、今も鮮明に頭の中に残ってる。

 

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(検問所。) 

 

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 (パレスチナ人居住区を囲む壁。壁の向こうには、パレスチナ人の日常がある。)

 

街のそうした陽気な空気とは裏腹に、銃を片手にパトロールするイスラエル兵士、街の至る所に置かれている検問所、監視カメラと壁に囲まれた街にはどこか重苦しさを感じる。

 

ここヘブロンは、街がイスラエル軍の監視下に置かれているパレスチナ人居住区(H2)、パレスチナ自治区支配下にあるパレスチナ人居住区、そしてイスラエルによる入植によって築かれたユダヤ人居住区に分かれている。

 

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(検問所。外では照りつける太陽が眩しく蒸し暑さを感じるが、検問所内はどこか冷たく重々しい空気が漂う。)

ユダヤ人居住地と隣り合わせのH2は、イスラエル軍の厳重な監視下に置かれ、そこに住む子供たちは学校に行くのに毎日検問所を通らなけれいけない。

 

また、H2で商店を営んでいると、ある日突然、銃を持ったイスラエル兵に「今日からお前の店を閉鎖する。もう商売はできない」と言われ、強制的に移動され、店を追われることもあると言う。

 

イスラエル兵は、突然、銃を持ち現れ、問答無用にパレスチナ人の住居を占拠し、彼らを追い出す

 

抵抗したものは、連行され、収容所に入れられたり、時に取り調べの中で拷問を受ける。それが、ここヘブロンにおいての日常であり、当たり前に起きている事なのだ。

 

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 (ユダヤ人向けの大学近くにて。かつてパレスチナ人の学校として使われていた校舎は、イスラエルの入植政策により奪われ、現在は過激なユダヤ思想をユダヤ人の学生に教える大学へと形を変えていた。)

 

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ユダヤ人居住区からほど近い場所に位置する商店の立ち並ぶ通りの上を見上げると、そこにはユダヤ人入植者による投石などの嫌がらせから身を守るためのフェンスが張り巡らされていた。

 

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多くのパレスチナ人が、そうした嫌がらせを避けるため店を閉め、他の場所に移転していく中、一部のパレスチナ人は店を守ろうと、懸命に営業を続けている。

 

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(ユダヤ人居住区側に位置するパレスチナ人の家のベランダにも、投石などの嫌がらせを避けるためのフェンスが設置されていた。)

 

街で出会った多くのパレスチナ人は、状況は悪くなるばかりと口を揃える。

 

つい最近も、トランプ大統領イェルサレム首都認定宣言に反対するデモがあり、イスラエル軍とデモ隊との衝突の中少年が逮捕され、イスラエル軍による取り調べ中に暴行を受け、帰ってきたという話をマーケットの店先で出会ったおじさんが、その当時の衝突の映像を交えて話してくれた。ヘブロンに店を構える人の多くは、商品を買ってほしいという思い以上に、現状を知って欲しいという思いで観光客に話しかけている人が多いように感じた。

 

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YoutubeでHebronと検索すると、イスラエル軍によるパレスチナ人デモ隊に対する過剰な鎮圧を捉えた映像が数多くアップロードされてる。それらを見ていると、ここヘブロンは、治安が安定した地域ではないことに改めて気づかされる。

 

www.youtube.com

ちなみに、ここヘブロンは外務省の海外渡航安全情報でも、レベル3(渡航中止勧告)が発令されている地域に属しているため、治安の面で非常に不安定な地域だとされている。そのため、渡航の際には、現地の最新情報を確認した上でできる限り、細心の注意を払ってください。

 

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(検問所近くで和やかに会話をするイスラエル兵たち。)

 

イスラエル兵にも、パレスチナ人と同様に守るべき大切な家族がいる。

 

ヘブロンヘ向かう途中、同年代の兵士に話しかけられ、一緒に写真を撮り、少し立ち話をした。ニュースで暴力的な兵士として描かれる彼らは、世界のどこにでもいる、ちょっとお調子者で笑顔が絶えない、私たちと同じ若者だった。

 

国を守るという役目を背負い、誇りを持って任務にあたっている彼らを前に、イスラエル兵によるパレスチナ人に対する暴力について、批判する事はできなかった。

 

国家という巨大な権力が決めた方針に従って任務にあたっている彼らに、大きな責任があるとは言い難いような気がしてしまう。いつの時代も、汚い役目を負わされるのは、一般の国民である。特に、徴兵制があるこの国において、国家権力に対し、「私たちがやっている事は間違っているから、私は、徴兵を拒否する」なんて言えるわけがない。

 

 

平和への小さな希望の兆し

 

パレスチナ人の人権を顧みず、武力を背景に入植政策を推し進めるイスラエルと、それになすすべなく、銃を持つイスラエル軍に投石などで抵抗するパレスチナ人との間に、平和が入り込む隙間は一見ないように感じられる。

 

しかし、徴兵を終えたイスラエル兵の中には、イスラエル軍の自国民を守るという名目で武器を持ってパレスチナ人を威圧し、時に暴力を正当化してきた事に対して疑問を持つ人々がいた。

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https://www.breakingthesilence.org.il

そんな彼らイスラエル軍元兵士が立ち上げた団体が、"BREAKING THE SILENCE"。

 

元兵士である彼らは、沈黙を破り、西岸地区起きている現状について自らの兵役体験を語る事で、イスラエルでタブーとされるパレスチナ人に対する弾圧、不当な暴行に対する批判を声高に叫び、イスラエル世論に問題提起を行い、抑圧的な政策によって苦しむパレスチナ人を救うことを目的に活動している。

 

彼らは実際に自らが兵役中に勤務についた地域で、証言を交えたツアーを行なっている。今後、イスラエルに行く機会がある方は、彼らのホームページでツアーの日程を確認し、ぜひツアーに参加し、話を聞いてみてほしい。(ツアーは英語で実施。)

 

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2年ほど前、1ヶ月ほどヨーロッパを周遊していた時、西欧東欧のほとんどの都市に、シナゴーグと、ユダヤ人差別の歴史を後世に残すために建てられたユダヤ人資料館があることは、当時ユダヤ人の歴史について無知であった私にとって、とても印象的だった。

 

歴史上、何度も迫害を経験してきたユダヤ人。

 

歴史が複雑なのは、歴史上、数々の虐殺や、差別、迫害に苦しめられてきたユダヤ人たちの国家イスラエルが現在、イギリス、アメリカと並んで世界で最も好戦的な国の1つとして数えられている事。

 

2年前の大規模なガザに対する侵攻によって、ガザに住む多くの一般市民が殺され、負傷し、住居を奪われたニュースはまだ記憶に新しい。

 

いかに、歴史における暴力の連鎖を断ち切っていけるのか。

 

私たちは、平和な国に暮らす1員として、こうした人類が抱える大きな地球規模の問題に少しでも真剣に向き合わなければいけないと思う。たとえ、それらが私たちの生活に直接的には関係ないとしても。

 

国連安保理の場において、拒否権を行使しイスラエルを擁護し、多額の資金援助を行なっているアメリカの親しい同盟国である日本にとって、パレスチナ問題は、全く関係のない問題とは言えない面が少なからずあるのではないか。

 

この記事を読んで、少しでもパレスチナで今リアルタイムで起きている問題について、興味を持つきっかけになってもらえたら、幸いである。

 

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(ユダヤ人居住区近くの幼稚園を通りかかったら、子供達がこちらへやってきた。)